
僧侶も人の子、人様の死は悲しいんですよ

先日の二十二日は、貞観の母親の月命日でした。
令和元年の八月二十二日 今年で五年になります。
供養中に「お水が欲しいと言ってる」
ということで、急遽お水をお供えしました。
母の亡くなったこの日は、
酷暑と呼ばれるとても暑い日でした。
お墓の掃除に行き、水を飲むことができず、
熱中症で亡くなったのでした。
この母親の死が、前世からの
因縁によるものだったと、
その日、山主より知らされました。

写真の時は神仏や霊とお話をしている時です。
昔、熊野の行者さんがとても暑い日に、
水を飲ませて
欲しいとお願いしたのに、飲ませてもらえず、
熱中症で亡くなったということが
機縁となっているようです。
母親は死後、その熊野の行者さんと逢い、
「これであいこやな(おあいこ)」
と言われたそうです。
山主は、その晩も「助けてやれなかった」と、
涙してくださいました。
しかし、「お不動様は、寿命じゃ」と。
この話を聞き、山主も貞観も納得しました。
前世でしたことは、
この世で返さなければならないのです。
良いことも悪いことも。
「一期一会」という言葉があるように、
逢った瞬間が大事なんですね。
合掌